環境マーケティングの実際について、農業の多面的機能を例にとって説明しましょう。
農業生産は、持続的な食料供給が目的で行われていますが、同時に、田や畑の維持管理を通じて、洪水を防止したり、土壌浸食を防止したりもしています。水田は、水質浄化や生物多様性の保全にも役立っています。美しい農村風景も農業生産が維持されてはじめて保全されます。また、農村が維持されることで、中山間地域にも人々の暮らしが維持され、伝統文化が継承されていきます。最近は、都会の生活に疲れた人がグリーンツーリズムや農作業体験などを求めて訪れることもあります。
これについては日本学術会議の答申を参照してください
農業の多面的機能に対して、市場から対価が支払われるわけではありません。

 

これを先に示した図に表すと次のようになります。農業生産活動が生み出す多面的機能は、社会に便益をもたらしますが、多面的機能そのものに社会から対価が支払われるわけではありません。対価が支払われるのは市場で取引される農産物のみです。しかし、この農産物は、国際的な市場競争の中で年々収益性が低下しています。かつては、食糧管理制度の下で下支えされてきた米価も、近年の米の需要減退に伴い、どんどん下がり、ついには60kgあたり1万円を切りそうな勢いです。これでは労賃どころか物財費すらまかなうことができません。つまり、作るだけ赤字ということになります。国際情勢の不安定化で、石油価格も上昇気味で、農業資材の価格も上昇しています。農業にも企業が参入し、生産性の向上を図るべきだという議論はもう何十年も前から言われており、実際に株式会社の農地取得の途も開けてきました。しかし、棚田しかないような中山間地域などでは、おそらく企業が入ってもだめでしょう。というより、そんなところに企業は入ろうとしません。しかし、農業の多面的機能で特に重要なのは、こうした中山間地域なのです。こうした中山間地域の農業生産が衰退することで、農業の多面的機能は発揮されなくなり、結果として社会的損失をもたらします。
農業・農村の多面的機能に対する支払い制度
そこで、政府が間に入って、こうした多面的機能に対して支払いを行おうとういう動きがあります。農業・農村の多面的機能に対する社会的な便益を測り、環境税を徴収し、環境直接支払として農家の所得を補填するのです。そのひとつの試みが、平成12年度から行われてきた「中山間地等直接支払制度」です。環境税という形での直接税には基づいていませんが、傾斜度のきつい農村で、(農家単独でなく)集落的なまとまりで農地を保全している地域に直接支払が行われます。
こうした直接支払は国だけでなく、自治体レベルでも試行されています。高知県の森林環境税が有名ですが、熊本市の地下水保全の取り組みも興味深いです。熊本市は水道水の99%を地下水でまかなっていますが、その水源が上流の水田地帯であることがわかっています。熊本市は、節水などを呼びかけるとともに、近年の急激な水位の低下を食い止めるために、こうした水田の保全を行うために助成金を支払っています。
市場を通じた環境支払い
以上は、市場の失敗を政府が保管する試みですが、農業においても市場を通じた支持が広まりつつあります。近年は、農薬や化学肥料の使用を控えたり、田んぼの生き物に配慮して行われる農業が盛んに行われるようになりました。特に、生きものの生態環境を守りながら行われる米づくりが注目されており、新潟県佐渡市の「朱鷺と暮らす郷」米や兵庫県JAたじまの「コウノトリ育む米」などが有名です。滋賀県も魚のゆりかご水田米ということで、琵琶湖名産のフナ寿司の原料であるニゴロブナの水田での孵化を助けています。他にも、全国的にさまざまな取り組みが行われており、それらは農水省の「生きものマークガイドブック」で紹介されています。こうした農産物が売れているということは、環境・生態系に配慮していることを購入基準とする消費者が増えているということであり、市場を通じても、環境配慮行動が支持されるひとつの証となります。
滋賀県では、水田に魚道を設置し、フナが安全な水田で産卵・孵化し、琵琶湖に帰ることを助けています。
製品市場において、消費者が環境に配慮した農産物を優先的に購入できるような認証制度も存在します。たとえば、農林水産省は「持続性の高い農業生産方式」をとる農家を「エコファーマー」として認定していますが、エコファーマーに認定された農家は、その生産物にエコファーマーのマークをつけることができます。生態系に配慮しながら持続的な漁業を行っている場合はMSC認証、持続的な森林系だとFSC認証などがあります。
製品市場だけでなく、労働市場を通じた農業・農村のサポートと言えるのが、農業・農村ボランティアです。担い手の高齢化が著しい中山間地域の農村では、耕作放棄地の増大だけでなく、獣害の拡大、竹林の拡大など、農業生産基盤の維持と農村環境の保全が難しくなってきています。NPOやボランティア団体などが、中山間地域の農作業や景観保全活動の支援を行うことで、そうした地域の多面的機能維持の負担を労働の提供という形で補填していることになります。こうした活動は、近年徐々に増えつつあるようです。
農山村での竹林の浸食・荒廃を食い止めるために、みんなで作業を手伝いにいきました。

このように、市場の失敗を乗り越えて、市場を通した環境配慮行動の社会的支持が広がってきたのは間違いないようです。個人的には、是非ともこうした動きがもっともっと拡大してほしいのですが、だからといって、これからは環境に配慮した農業あるいは企業活動に軸足を移しても間違いないのでしょうか?先ほどの生物多様性米なども、売れてはいますが、価格的にはなかなか苦戦しているようです。我々が2008年末に調査した結果では、「お米を買うときに気にすること」として「環境にやさしい」を指摘した人は、複数回答で4%しかいませんでした。特に、高価価格米の購入者にその割合は少なかったのは残念でした。

2008年12月に実施した全国調査結果(複数回答)

やはり環境では稼げないのでしょうか?このあたりを検討するにあたっては、もう一度、マーケティングの考え方を見直す必要がありそうです。ですから、結論を急ぐ前に、マーケティングとブランドの考え方を再整理しながら、環境マーケティングは成功するのか、という点について考えていきたいと思います。