自然界の窒素循環

窒素は作物の生産に不可欠な要素です。窒素ガスは大気中にたくさんあって空気の8割を占めます。しかし,それを直接利用できる生物は一部の細菌やラン藻などに限られます。そうした細菌が窒素ガスをアンモニアや硝酸塩といった無機窒素化合物に変えます。これを窒素固定というそうです。無機窒素化合物の形となって植物はようやく窒素を吸収できます。窒素固定は,雷などでも起こるようですが,そのほとんどは細菌等によるものです。そうして植物が育ち,植物を動物が食べて身体をつくります。植物の枯死体や,動物の排せつや死がいは,再び細菌が硝酸塩に変え,その一部が窒素ガスとして大気中に還ります。

化学肥料の功

自然に地球を循環する窒素の量は限られているので,地球が生産できる作物の量は限られます。マルサスの人口論は,食料(正確には生活資源)の増加速度が人口の増加速度に追いつかないために,世界の人口は頭打ちになると予測していました。しかし,1909年にドイツのFritz Haber が空気中の窒素をアンモニアの形に固定する方法(ハーバーボッシュ法)を開発しました。人類は作物生産に利用できる窒素を自然界の制約を超えて大量に手にしたわけです。その後,農薬の開発,機械化,灌漑技術の進歩もあり地球の作物の生産力は飛躍的に向上しました。緑の革命と言います。これは地球が養える人口の拡大を意味しました。1900 年から 2000 年にかけて、人口は約 16 億人から 60 億人へと約 4 倍に増加しました。一方で,この間、農地面積は約 30% 増加し,窒素肥料の使用は約50倍増加しました。

化学肥料の罪

しかし,その一方で,土壌への大量の窒素の投入は様々な問題を引き起こしました。作物が吸収しなかった窒素は,地表水や地下水へ,そして河川,海へと流れます。河川や海に特定のプランクトンが発生し,地下水の硝酸塩濃度が高まるなどの問題です。その他にも,大気への影響もあると言われています。窒素の大量投入の地球環境や人間の健康に影響する以下の7つの問題があると指摘されています。1

  1. 陸上生態系の富栄養化、生物多様性の減少、機能の変化
  2. 海洋生態系の富栄養化。魚の死滅を引き起こす沿岸海域の低酸素状態 (無酸素状態) の発生を含む
  3. 土壌と淡水の酸性化
  4. 人為的放射強制力の約 6% に寄与する、強力な温室効果ガスである亜酸化窒素の形成
  5. 窒素化合物によって引き起こされるオゾン生成と一次粒子による大気汚染の健康への悪影響と作物収量への影響
  6. 硝酸塩 (NO3) の地下水汚染による人間の健康への悪影響
  7. N2O による成層圏オゾン層の破壊

地球の限界

Planetary boundaries という概念があります。2009年に,Stockholm Resilience Centre のJohan Rockströmらによって提唱された概念で,人間の活動による環境変化には,地球が許容できる生物物理学的しきい値というものがあり,その境界を超えると人類に悲惨な結果をもたらす可能性があるというものです。彼らは,7つの環境変化をとりあげ23,さらにSteffenらが2つを加え,境界の値も更新しました4。そして,いずれもが,これらのうち3つは,すでにその境界を踏み越えていると指摘しています。その3つとは,気候変動であり,生物多様性の喪失であり,そして窒素循環です。

Planetary boundaries

なぜ窒素循環はCOPが走らない?

このうち気候変動については,世界中が注目しています。1992年にブラジル・リオデジャネイロの地球サミットで,国連気候変動枠組み条約の署名が開始されると,95年にはドイツ・ベルリンで第1回となる締約国会議 (Conference of the Parties: COP1) が開催されました。その後,京都 (COP3) ,パリ (COP21),などを経て,温室効果ガス削減の国際ルールづくりが進められてきました。

また,生物多様性の喪失については,1992年にケニアのナイロビで生物多様性条約 (Convention on Biological Diversity: CBD) が採択されると,1994年には,バハマのナッソーで第一回の締約国会議 (COP1) が開催されました。その後,名古屋開催 (COP10) なども経て,2021年には中国・昆明でCOP15が開催されるに至り,生物多様性の喪失を食い止めるための方策が検討されてきました。

しかし,窒素循環(あるいはその正常化)に関わる枠組み条約の動きがあるとは聞いていません。確かに,Planetary boundariesの設定には,いくつかの批判もあります。例えば,窒素循環については,初期に示された境界は,人間の活動に対する必要量や植物生産が増加することによる温室効果ガスの吸収の影響を考慮していないから,境界はもっと大きいという批判がありました (De Vriesら, 2013)。Steffenら(2015)は,これを批判に基づく新たな境界値の更新を行いましたが,それをもってしても,窒素循環はPlanetary boundariesを超えてしまっています。誰も動かないのはなぜなのでしょうか?

方法はある?

Steffenら(2015)の窒素循環はPlanetary boundariesは年間 62 Tg N で、年間 62 ~ 82 Tg N の不確実ゾーンに設定しています。それに対して,土壌に適用される人為起源の窒素量は少なくとも年間 139 Tg N であると推計されています。窒素肥料は世界人口の半分を養っており,窒素肥料の使用を無くすことはできませんが,施肥効率を改善することで窒素肥料の投入を減らすことはできます。揮発しにくい肥料を用いるとか,揮発するまえに作物に吸収させるように作物の生育に合わせてちょっとずつ施肥するとか,世界で肥料効率の低いところを指導するとか,なんらかの施策が必要とされています5

 


  1. De Vries, W., Kros, J., Kroeze, C., & Seitzinger, S. P. (2013). Assessing planetary and regional nitrogen boundaries related to food security and adverse environmental impacts. Current Opinion in Environmental Sustainability, 5(3-4), 392-402. 
  2. Rockström, J., Steffen, W., Noone, K., Persson, Å., Chapin III, F. S., Lambin, E., … & Foley, J. (2009). Planetary boundaries: exploring the safe operating space for humanity. Ecology and society, 14(2). 
  3. Rockström, J., Steffen, W., Noone, K., Persson, Å., Chapin, F. S., Lambin, E. F., … & Foley, J. A. (2009). A safe operating space for humanity. nature, 461(7263), 472-475. 
  4. Steffen, W., Richardson, K., Rockström, J., Cornell, S. E., Fetzer, I., Bennett, E. M., … & Sörlin, S. (2015). Planetary boundaries: Guiding human development on a changing planet. science, 347(6223), 1259855. 
  5. Kopittke, P. M., Menzies, N. W., Dalal, R. C., McKenna, B. A., Husted, S., Wang, P., & Lombi, E. (2021). The role of soil in defining planetary boundaries and the safe operating space for humanity. Environment International, 146, 106245.