企業活動の社会的コントロール

なぜ環境マーケティングが必要かを考える前に、企業活動をどうやって社会的にコントロールするかについて考えてみましょう。自由市場経済で、企業活動を社会的にコントロールすることはナンセンスという見方もありますが、自由市場経済において各企業が勝手にいろいろな活動をすることが、結局、社会的に望ましい状態をもたらすという原理が働くことを期待して、そのような体制がとられているわけですので、いわば、自由市場経済によって各企業の活動が社会的にコントロールされているということです。

たとえばガソリンスタンドの出店を考えてみましょう。ガソリンスタンドを出店させようとすると、消防法だのなんだのと、いろいろ社会的な規制はあるでしょうが、それでも、すでに近くに出店しているからダメだ、などとはお上に命令されることはありません。原則として自由に出店することができます。そうなると、あるエリアでこのガソリンスタンドが生き残るには、どうしても価格競争となります。店員のあいさつがいいとか、窓ふきがていねいだとか、店に車を入れやすいだとか、いろいろ差別化はできるでしょうが、それでも、ドライバーにしたら、ガソリンに対する出費は結構大きくて、店員が多少無愛想でも、窓拭いてくれなくても、店に入りにくくても、少しでも安いガソリンスタンドを利用しようとします。ですので、ガソリンスタンドとしては、どうしても店舗経営の効率性を徹底して、他店よりも少しでもガソリンを安く提供しながら、利益を確保できるようにがんばります。その競争に負けたら、店舗経営は成り立たないわけで、店をたたむことになってしまいます。つまり、市場から淘汰されるわけです。

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自由市場経済において、一般商品は、その品質が評価され、不良品は市場から淘汰されていく。

電化製品を考えてみましょう。最近、家電ブームですが、電気屋さんを覗いてみると、炊飯器ひとつとっても高級品から普及品まで、たくさんの種類が並べられています。値段もそれぞれです。こうした品質競争の場合、価格だけが問題ではありません。ご飯をおいしく炊けるのであれば、ある程度の出費をいとわない消費者もいるでしょうし、とにかく炊ければよいからできるだけ安いものと思っている消費者もいるでしょう。大きさも、1升炊けないと困るひともいるだろうし、1合炊ければ十分と思っている人もいるでしょう。どれが一番というわけではなくて、様々な消費者のニーズがあり、それらに見合った商品が売れることになります。高級品が売れているからといって、全面金ピカ!だけがウリの炊飯器を売り出しても、秀吉でも生きていない限り、なかなかそれは売れないでしょう。企業が、いくら「これはいい炊飯器だから」と言っても、それが消費者が欲しがるものでなければ、市場においては「良品」とはいえません。良品でない商品は、市場で購入されず、企業は製品コストを回収できません。そのため、企業はその商品の供給を打ち切るでしょう。つまり、その商品は、市場から淘汰されることになります。

市場のニーズは、どこにあるか、なかなかわかりません。消費者自身も、製品が出てから、自分が何を欲しがっていたかを知ることもしばしばです。企業は、手探りの中で消費者のニーズを探し出し、売れると思い、商品を市場に送り出します。しかし、その中で生き残る製品はわずかです。長期間にわたって生き残れる商品は、さらに少ないです。しかし、そうした競争の中で、社会的に望まれる商品が次々と生み出されています。これも、見方を変えれば、企業の商品開発を社会的にコントロールするひとつの方法であるといえます。

市場の失敗