市場が存在しない

一般商品は自由市場競争に任せておくことで、ある程度社会的に望ましい状態に企業活動を導くことができそうです。しかし、環境の場合は、そううまくいきません。環境には、通常、市場が存在しないからです。

fiure of market failer
環境影響の市場は存在せず、ただ乗りが可能なので、自由市場で環境影響はコントロールできない。

社会的責任とかいいますが、環境問題に取り組むことが、企業にも当然のように要求されるようになりました。企業はその活動において様々な側面で環境に影響を与えています。工場からの河川や大気中への汚染物質の放出というのもあるでしょうし、オフィスにおける紙や電気や使用といった資源利用もあるでしょう。こうした企業活動による環境影響は、ある程度制度的に規制されています。今時の日本で、工場排水をそのまま垂れ流しているところがあるとは思えませんし、地下水なども浄化して繰り返し、利用される場合が多いです。モクモクと黒煙を放出する工場を見ることも無くなりました。もしも、かつての公害問題のように、地域住民の健康や住環境、あるいは近隣の生態系に、甚大な影響を及ぼすようなことをすれば、たとえ、政府が直接罰しなくても、企業は市場から厳しい評価を受けて、操業自体が危うくなる可能性があります。そうした意味で、企業活動の環境影響はある程度、市場で評価されているようにも見えます。

現在は、CO2の排出量を何パーセント減らすかが、社会的な関心事であり、企業もこのあたりには気を遣っています。ただし、それは、公害問題のように、「この水準を超えたら罰する」というようなものではありません。何%減という数字が出されたりもしていますが、今のところそれが企業に強制されているわけではありません。経済界での自主的な取り決めも行われていますが、あくまでもそれは目標です。企業としては、CO2排出を可能な限り減らすというのが現状です。市場競争の中での「可能な限り」ですから、効率性や収益性を度外視することはできません。機械をつかわずに手作業に代えるとか、軽自動車やハイブリッド車しか売らない、なんてこともできないわけです。CO2排出削減だけに貴重な経営資源を投下できるわけでもありませんし、それだけを目指した商品づくをするわけにもいきません。なぜなら、ある企業が行ったCO2排出削減がそのまま市場で評価されないからです。

Free ride(ただ乗り)

現在、企業は、木を植えたり、地域の清掃活動に参加したり、といったパフォーマンスだけではなくて、企業活動全般にわたる環境影響をひとつひとつ見直し、その低減に努めています。製品設計自体をを見直して、製品のライフサイクル全体の環境影響を減らす努力も始めています。前者は、環境マネジメントシステム(EMS)といって、ISO14001などの規格がその取り組みを後押ししています。後者は、環境配慮設計(DfE)とよばれています。それらの目指すところは、CO2排出削減だけではありませんが、話を簡単にしておきます。

あるガソリンスタンドが、CO2削減努力を行ったとしましょう。あのこうこうと光るライトを暗くして、24時間営業もやめました。お客にはアイドリングをやめさせ、売ったガソリンから排出されるCO2の何割かを吸収する木を植えることにしました。当然、近くの他のガソリンスタンドはそんなことはしません。この取り組みは、CO2削減につながります。しかし、相応のコストもかかりす。店が暗くなったことで、店舗に活気がないように思われるかもしれません。アイドリングをやめさせられたことにムッとした客がもう二度とこのガソリンスタンドを利用しなくなるかもしれません。植樹にいたっては、結構な費用です。CO2削減とコスト低減を同時に達成するということもよく聞きますが、いつもそううまくいくとも限りませんし、その範囲も限られます。ひとまずここはコスト高になったと考えましょう。コストがかかったからといって、このコストは、ガソリン価格に転嫁することはできません。市場がそれを評価してくれないからです。大幅なCO2削減は、社会的に歓迎されることで、大いに評価したいと市場を構成する消費者全員が思ったとしても、市場は評価しません。他のガソリンスタンドより1リッター当たり20円も高かったら、多くの人はこのガソリンスタンドを利用しないでしょう。たとえ、そこまでするなら1リッター当たり20円の価値があると消費者全員が評価していたとしてもです。たぶん、

私みたいな貧乏人が、買い支えなくても、もっとお金持ちの人が買うでしょう

と思うに違いありません。律儀な人は、このガソリンスタンドを利用しようとするでしょうが、ひょっとしたら、家に帰って、ご主人あるいは奥さんに、

なに無駄遣いしてるのよ!

と怒られるかもしれません。たとえ、怒られないにしても、毎回、毎回、この割高なガソリンを入れるうちに、やはりちょっと損した気になるかもしれません。自分一人、割高な出費をしなくても、他の人が買い支えてくれれば、その人は環境改善の便益に与れるからです。これをフリーライダー(ただ乗り)の問題といいます。

環境の非排除性

CO2削減のの効果は、それに対して対価を支払った人もそうでない人も等しく享受されます。対価を支払っていないからといって、その人だけを便益の享受者の中から排除することはできません。だから環境問題には常にただ乗りの誘因があるのです。ただ乗りする人がごく少数だったら、それほど問題ではないのですが、ほとんどの人がただ乗りする場合、がんばってCO2を減らした企業は、そのコストを市場から回収できずに、市場競争の中で、単に「割高な企業」として、淘汰されかねません。そのような状況で、律儀な消費者が自分一人がんばって買い支えても、それは焼け石に水です。無駄な出費になりかねません。そうなると、ますます買い支える人は減るでしょう。「ただ乗り」と言われると、ちょっとムッとする消費者の方もいるでしょうが、やはり大多数の人は、そう簡単に、環境のために、お金を出してはくれません。大多数の人がそうなのに、自分だけがと思う人も少ないでしょう。結果として、企業のコストを伴う環境改善活動は、自由市場競争においては実現しないということになります。

地球環境のCO2濃度を減らすとりくみについて、その便益に排除性はありません。ですので、このCO2濃度の便益を享受したから、あなたはいくら払いなさい、なんていうことは、強権でも発動しない限り無理です。つまり、地球環境のCO2濃度について市場が成立しえないわけです。CO2に限らず、環境影響について、市場が存在しないのが一般的です。このため、市場に任せていても、うまいところ環境影響の社会的コントロールを実現することはできないのです。これは市場の失敗と呼ばれる現象のひとつです。

政府の失敗