暫定基準値という科学的線引き–福島原発事故(2)

リスクコミュニケーションの学術的研究の立場から、福島原発事故の伴う”風評”被害について、解説と提言を行います。

本日(3月26日)付けの日本経済新聞が、食品安全委員会が、食品や飲料水の放射性物質の規制基準の見直しの検討を始めたことを報じています。いわゆる「暫定基準」というものです。「暫定基準」は、食品衛生法に放射性物質に関する基準が無かったことから、厚生労働省が3月17日に急遽設定したものでした。「暫定」なので、厳しめに設定されたと思われます。このため、「基準値を超えた」と言っているのに「食べても大丈夫」といったような説明がなされていたりして、情報を受け取る側としては???な基準でした。緊急時対策としては仕方ないことなのですが、必要以上に厳しい安全基準は、経済活動の大きな足かせとなってしまいます。ましてや、物流が停滞しているこの時期に、物不足を加速させかねません。今回の見直しは、放射性物質摂取の規制基準を国際基準に近づけようという緩和措置の検討のようです。

シーベルトって何?ベクレルって何?

「暫定基準」における摂取規制値は、年5ミリシーベルト(mSv)。Svは人体が放射性物質から出る放射線を受けた時の影響度の指標で、野菜などに付いている放射性物質の量を示す値として使われているベクレル(Bq)は、当該放射性物質がどれくらいの放射線を出すのかの指標だそうです。人体に1Bqの放射性物質を摂取したときに、人体には何mSvの影響があるかは、摂取方法などによって違うそうですが、それぞれについて係数があって、次のような関係となるるそうです。

mSv = Bq ×係数(1Bqが人体に及ぼす影響度)

ともあれ、平均的な日本人は、ホウレンソウは年間何グラム、カキナは何グラム、水道水は何グラム摂取するから、放射性物質の影響を5mSv以下に抑えようとしたら、2,000Bq以上が検出されたホウレンソウは食べない方がよい・・・といった考え方で、今回の出荷規制の措置が出されたのでしょう。

暫定基準が見直されるようです

国際放射線防護委員会(ICRP: International Commission on Radiological Protection)というのがあります。国際原子力機関(IAEA)なんかも、ここの勧告を基礎に動いているようです。ここが、原子力災害が発生した場合の規制基準を出しておりまして、これによると、事故後最初の1年間の放射線量を全身で5~50mSvと勧告されているそうです。ずいぶん幅がありますが、厚労省は、この値の最も厳しいところをとっていたという訳ですね、たぶん。しかし、ICRPの勧告では、代替食品の供給が容易に得られない状況や、住民が重大な混乱に陥りそうな状況では「年10mSvよりもはるかに高い放射線量」にまで規制を緩和することを認めているそうです(日経3/26)。今回の食品安全委員会の見直しは、この10mSvを採用しようということでしょうか?そうなると、放射性物質の基準値も単純に2倍に引き上げられるわけですので、出荷規制の対象もいくらか狭まることになるでしょう。

しかし、その場合、消費者が、「はいそうですか、それなら、以前は規制されたいた、ここのホウレンソウも安心ですね」と言って食べてくれるかどうかです。たいへんな時期で、農家の苦悩も繰り返し報道され、「冷静な対応」に協力的な小売店や消費者の方も多数おられるようなので、そこは心強いのですが、みんながみんな、そうとはいえないでしょう。しかし、前回の記事で書いたように、これも致し方のないことではあります。基準値が、途中から引き上げられるよりははるかにましです。基準値の引き上げは、不信感を醸成することになるでしょう。

基準を変えるときの説明はちゃんとしてください 

しかし、基準の緩和にあたっては、少なくとも、なぜ暫定基準は5mSvだったのか、今回の10mSvはどういう意味かということを、消費者が理解できるようにしっかり説明する必要があります。「前回の基準は、あわてて作成したもので、あまりにびびり過ぎていました。これとこれは全然大丈夫なようです。すみません。」的な説明が必要になります。農家が困っているから、物が足りないから、といった説明が前面に出すぎると、安全基準がひっこめられたとの憶測を生みかねません。憶測がいったん生じるとなかなか否定できません。

食品安全委員会って?

ところで、件の食品安全委員会というのは何者かですが、これは、例のBSE騒動の時にできた委員会で、農水省や厚労省などのように、リスク管理を行っている省庁とは別に、リスク評価を科学的に行うための委員会として立ち上げられました。「日本もBSE検査をしてみろ、きっと見つかるぞ」と、EUから勧告されていたのに、それを無視した農水省が、生産者の利益しか考えず、消費者の安全・安心をないがしろにした、これは、リスク管理をするところとリスク評価を行うところが同じだからだ、といった理由で、内閣府に属する独立機関として設置されたものです。

食品安全委員会は食品安全政策の実質的な意思決定もやっています

食品安全委員会は、食品リスクの科学的な評価機関なのですが、個々の食品安全政策決定において、科学的データをそのまま出されても、どう判断してよいかわからない場合が多いので、食品安全委員会として、その政策原案づくりに近い意思決定をおこなわざるを得なくなります。その点についは、BSE騒動のときの、全頭検査継続をめぐる議論の際も、委員間でごたごたがあったりもしました。今回も、規制基準の設定という、一般消費者にとっては、安全かそうでないかの公式の線引きをどこでするか、という領域まで踏み込むことになります。「食品安全委員会のリスク評価の結果、10mSvよりもはるかに高いレベルでもこれこれこの程度といった評価が出ましたので、そのリスクを許容できるxxx mSVに基準値を設定しました。」的な決定ができれば本当はいいんでしょうけど。

食品安全委員のリスクコミュニケーションには限界があるのでは

食品安全委員会は、同時に、食品安全性に関するリスクコミュニケーションも行っています。リスクコミュニケーションにはいろいろあって、ひとつは、リスク管理とリスク評価をリンクさせるというものです。リスク管理上必要となるリスク評価を専門家に依頼し、リスク評価の結果をリスク管理に的確に反映させるためのコミュニケーションです。これは専門家どうしのリスクコミュニケーションですが、専門家とそれ以外の一般の人とのコミュニケーションも必要です。前回の記事で指摘した安全と安心との距離を近づけるためのリスクコミュニケーションです。科学的に安全と評価されたことを消費者の安心に結びつけるためのコミュニケーションともいえるでしょう。安全と安心の間には、科学的評価結果のコミュニケーションギャップ、科学的評価に対する消費者の懸念、並びに、リスク管理の徹底に対する消費者の懸念の3つがあることを指摘しましたが、そのことをふまえると、科学的リスク評価機関である食品安全委員会が一般消費者向けのリスクコミュニケーションも行っているというのはどうしたものか、と私などは思っています。消費者が安心を得るためには、科学的評価の説明だけでは足りないからです。

安心を得るための情報提供を

今回の野菜等の出荷や摂取の規制についても、食品安全委員会のHP上に情報が記載されています。(食品安全委員会「東北地方太平洋沖地震の原子力発電所への影響と食品の安全性について」)3月16日に初めて掲載され、、随時更新されています。Q&Aなども載せられています。その点につては評価できるのですが、改善の余地はあると思います。できれば以下のような説明があれば良いのではないでしょうか。

  1. 出荷規制または摂取規制の対象となっている地区・品目の一覧
  2. 規制に伴い消費者が認識すべきこと、とるべき行動
  3. 規制の根拠の説明
  4. モニタリングの結果の一覧
  5. モニタリングの実施範囲
  6. モニタリングの実効性についての説明

いわゆるどのような手順と実効性をもって規制が決まっているのかという、対策実行の過程の透明化です。それを情報ニーズの高い順に並べて伝えるべきでしょう。

また、Q&Aとしてあがっているのは、現在のところ、以下です。

問1 食品を介した放射性物質の健康への影響について、食品安全委員会としてどのように対応していくのですか。
問2 流通している食品は大丈夫なのですか。
問3 家庭菜園で育てた野菜等は食べても大丈夫ですか。
問4 この暫定的な規制値は評価が行われていませんが、暫定規制値を超える食品を摂取してしまった場合に健康への悪影響は生じるのです
問5 暫定規制値の設定に当たり、食品安全委員会として食品健康影響評価を行わないのですか。
問6 食品安全委員会の行っている食品健康影響評価の審議状況はどうなっていますか。また、その審議結果はどのように活用されるのですか。
問8 昆布やワカメに被ばく予防効果があるというのは本当ですか。
問9 水道水は飲んだり調理に用いて大丈夫なのでしょうか。入浴等の生活用水として用いるのはどうでしょうか。
問10 母乳を通じて赤ちゃんが放射性物質を摂取するのが心配です。
問11 放射線と放射能はどう違うのですか。
問12 そもそも農産物や食品には放射性物質があるのでしょうか。
問13 ベクレルとシーベルトはどう違うのですか。
問14 放射性物質の半減期とはどういうものですか。
問15 通常より多くの放射性物質が含まれているかどうかは、どのようにしてわかるのですか。

BqやSv等、科学的な説明の理解に必要な基礎知識の提供や、暫定基準値の見直しの可能性にもふれ、ネット上に流れている怪しげな情報にも対処しようとされていて、その点は評価できます。ただ、消費者として聞きたい情報とは、やはりズレがあるように思います。野菜について、一番知りたいのは、

  • 基準値を超えている野菜は「絶対」流通しないしくみになっているのか?
  • 流通している野菜はどれでも食べても本当に大丈夫なのか?
  • 消費者として何に気をつけたらよいのか?

なんだろう、と思います。これらは、科学的リスク評価の範疇を超えて、説明されるべきことで、食品安全委員会としてはうまく説明できないことかと思われます。

 毎日の食卓をあずかる主婦や主夫の皆さんは、どこに住んでいるか、どんなお店が利用可能か、子供がいくつか、等々に応じて、もっと切実なことが聞きたいかもしれません。食品安全委員会は、食の安全ダイヤルを設置して、こうした情報ニーズを収集しています。しかし、こうした非常には、どのような情報ニーズがあるのか、自ら情報収集するなどの積極的な対策が必要かと思います。

また、回答においても、科学的な基礎知識の説明は親切なのですが、たとえば、問15などの答えは、

厚生労働省の通知「放射能汚染された食品の取り扱いについて」に基づく「緊急時における食品の放射能測定マニュアル」により、各地方自治体が検査を実施することとなっていますので、この結果により確認されることとなります。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001558e.html

ですが、これではモニタリングの実効性性や範囲はわかりません。あくまで、消費者は安心を得たいのです。これでは、あんまりなのではないでしょうか。

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